Imaginary Circuit

Imaginary Circuit
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はじめに

架空のアート工学、イマジナリーサーキット。
これはその理論と実践を辿る回顧展である。
まずは、次のように大胆に要約してみたい。

* これは禅の科学である *

禅、という言葉は何か素敵なオーラを放っている。
実をいうと、私はこの言葉の正確な意味を知らないのだが、
そういう誤解こそ、これから展開するアートの本質なのである。


ガタガタの線
改善された線
ぼかし窓

隙間の発見

1979年、当時高校生だった私はCOMMODORE社のPET2001というパソコンを使ったCGに夢中になっていた。 当時のパソコンは、画面の解像度が80×50pixelと信じられないほど低かったため、直線はがたがたのブロック状になってしまった。(上)

しかし、その状況はある工夫によって、劇的に改善できることを発見した。 これはその結果である。(中)
文字は全く読めなくなってしまったが、直線はずっと綺麗になったように感じられる。

その工夫とは、木板に窓のように穴をあけて、半透明のシートを張り、その曇りガラスのような窓を通して画面を見るのである。(下)

要するに、画像をぼかしたことに原因があるようで、同様の効果は元のガタガタの画像を薄目で見るだけでも確認できる。 さて、ここで不思議なのは「ぼかす」、という情報を破壊する処理によって、反対に情報が復元されたような印象をもたらしたことである。 仮に、このフィルターを通した画像を機械で測定しても、直線を意味する情報が増えている筈はない。 この処理によって直線が綺麗に見えたとしたら、それはあなたの頭の中にある直線のイメージが投影され易くなった結果であろう。 ものを見る、というプロセスは一見すると受動的だが、そこに自分から情報を送信するパートを発見したところから、この探検は始まる。

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